​応援コメント

​『スキマトズレ2018』の公開に向けて寄せられたコメントを紹介しております

新井くんという役者に会ってしばらく飲んでいる。透明感溢るる、ある熱血漢だ。傾けながら、彼を見て思うことがある。その師、北見敏之さんのDNA。綺麗で、胸の裡のその文学に、語りかけてみたくなる。そうして、夜は更けてゆく。BGMはすべてが真実にも聞こえてしまう、あのいつもの闇の声だ。声の持ち主が、映画を演る。いったいこの人は誰なんだ?そうして、不思議な、でも心地よい距離感で北見さんは遍満していてくれる。

付かず離れずが、稀にみる大人のありよう、スクリーンがまた楽しみである。

                      テレビプロデューサー 天野裕士

                     

​北見さん!

またやっちまうんですね!

例のやつを!

今回も観せつてけてしまうんですね!

多彩っぷりを!

それはそうと1つ伺ってもよろしいですか?

いつ僕を出演させてくれるんですか...。

                  俳優 滝藤賢一

常に思想を高く持っている人ほど包容力がある。

包容力が有る人の周りには人々が集まる。

​北見さんは思想家であると共に、幸福を分かち合う宗教家のようだ。全人生を向上させるように、常に何かを生み出し、人々と分かち合う。彼と出逢った人々もまた、ウズウズと階段を登りたくなるでしょう。

北見敏之とは年齢を感じさせない魂を持っている男である!

                     女優 清水美沙

ワークショップでやってきた事が、どう映画になっているのか観るのが楽しみです。

日常で無意識に演技をしている事と、俳優が意識的に演技していることの違いはどこにあるのでしょうか。それがわかるかもしれません。

            

               映画監督 竹馬靖具

​Photo:磯崎威志

​歳を重ねれば自然と人徳とやらが身に付いて、慕われて、ワシの周りにも人が集まってくると思ってた。

大きな間違いだった。

だーれも集まってきやしない。北見さんの所には、いっぱい人が集う。

一緒に吞んだり卓球したり芝居したり映画を作ったり。

ワシもその一人だ。なんでだ。なんかあるんやろか。そのサムシング教えてほしい。

初めて会った時、泥酔して人に絡んで北見さんに迷惑をかけた。

「・・・すみませんでした。」

「お前の絡み方なんか良かったねえ。一緒に芝居やらない?」

そのサムシング教えてほしい。

​                               俳優 吉岡睦雄

僕らがつくっている雑誌『自遊人』で昨夏、北見さんにインタビューを

させていただいた。その中で、〝非凡〟という言葉はひとつの

信条だと北見さんは言った。単に平凡でないという意味ではなく、一見平凡に

見えて平凡ではないもの。さりげないようでいて、新しい大きな驚きを秘めたもの。

皆が驚愕するような〝非凡〟を目指したいと、タバコを燻らしながら訥々と話す北見さんが印象的だった。

『スキマトズレ2018』の〝非凡〟に驚き、そして楽しみたいと思う。

 

                                                                                                                        自遊人副編集長 西澤亨

北見さんは

優しくて、知的で、熱くて、人望があって、お茶目で、真面目で、セクシーで、卓球強くて、ユーモアがあって、愛の人で、、、

また新たな北見さんのカタチが見れます。

映画楽しみです!

                          

                            画家 若佐慎一 

​北見さんはいつだって、みんなをスターにしてくれる。魅力的で居続ければ、それだけでいいんだよ、って。

わたしはここから始まって、これからも続いていきます。

​北見さんラブ!

                    女優 手塚真生

北見敏之さんは卓球用具を入れたリュックを背負って撮影現場に行く。相当卓球にはまっている。最近、新宿であった団体戦では仲間をハラハラドキドキさせる好ゲームで3連勝したと本人から聞いた。

さて本業の映画では、どれだけ私たちを興奮させてくれるんだろうか。すでに私はハラハラドキドキしている。

                       俳優 でんでん

「わたしの物語を再編集している途中です」

 

劇作家・演出家 長谷川孝治

 

 誰かに自分を見て貰いたい。そして、できることならわたしを理解して貰いたい。わたしはこんなに大変だったのだと。わたしはずっとこうやって過ごしてきたのだと。

 で、目の前にいる彼もしくは彼女の前で、視線に力を入れてみたり、ふうっと遠くを見たりしてみる。

あらかじめ「ま、わからないよな、そんなこと」と、自分に言い聞かせているので、彼もしくは彼女が「ごはん食べようか」というリアクションをしたところでわたしは別に傷つかない。わかるというのは、わたしの物語の中に、他者の物語を読み込むことだからだ。

わたしを理解して貰うというのは、誰かの物語の中に組み込んで貰うということなのだから、多分。

 そこにズレとスキマがあるのは当たり前である。何故なら、わたしのプロトコルと誰かのプロトコルは違っているのが常態だから。

 たまに、プロトコルが寸分変わらない他者に出会うことがあって、そんなときわたしはさっさと逃げる支度をしてしまう。だって、それはかなり気持ち悪いことだから。

 「これはあなたの物語です」と言われて、「ああ、そうなんですか」と素直にうなずく人はあまりいない。けれど、その捏造された物語が自分に入っちゃったらどうしよう。という緊張感は絶対にある。

 かつて、ある時代。J・L・ゴダールとJ・P・ベルモンドとアンナ・カリーナの個別の物語がばんばんこっちに入ってくることがあって、相当に困ったことがある。そう、ジーン・セバーグもそうだった。けれどその一派が映画の撮り方を変えてしまったのは歴史的な事実である。撮影所システムなんかいらない。外で撮ればいいじゃないか。

 で、北見さんたちは映画の公開の仕方を変えようとしているのじゃないかと思う。撮って、まっすぐに映画館で公開する。まるでお芝居を舞台に上げるように。

 たぶん、違うかもしれないが、映画館が北見さんたちシステムを導入するのはとてもいいことのように思う。デジタルカメラがあって、面白いホンと俳優がいれば映画を撮る、そして編集して映画館にかける。

 単純だけど、それは映画のいい流通のさせ方だと思う。俳優は毎朝起きて自分の物語を編集する権利があってお芝居なんだけれど、通常編集が終わってしまった映画は誰が再編集するのだろう。ああ、だから「これはあなたの物語」なのか・・・・・・・・以下、続く、続く、続く・・・・・・・・多分。