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「そうなんだよ、やってくるのは破片ばっかりなんだよ」

NPO弘前劇場 長谷川孝治

 一九七八年に弘前劇場を立ち上げてから、人には二つの川が流れていて、その二つの流れを抱えながら生きていく他なく、その二つは一方が前景で流れているときもう一方は伏流水となって流れている。そして、そのどっちもやがては死という永遠の淀みみたいなものに流れ込むのだと思っていた。

 その考えは三〇代に「フラグメント―破片」を書いたときから六〇になった現在まで変わっていない。

 一つの流れとは「言葉」が道具であって、単なる記号という代替物であって、別段意識しなくても自然に出てくる流れである。「ハイライト一個下さい」「年齢確認をお願いします」「はい」これらコンビニでの会話に淀みはない。なにしろわたしが先にいて、言葉が後からやってくるのだから。

 けれど、もう一つの流れは違う。言葉というものが先にあって、どうやらわたしというのはその言葉、就中、他人の言葉によって出来ているのだと気づいてしまった流れである。劇中、粕谷という登場人物が呟く「やってくるのはあなたの破片ばっかりです」あなたの破片しかやってこないのだとしたら、粕谷は全体としての自分をいつ、どこで、どんなふうに見つければいいのだろうか。

 俳優も劇作家も演出家も言葉を使いこなすプロだと思っていると、足元は簡単にすくわれる。言葉は道具ではなく実在そのものだからだ。虚構である人がどうこうしようと思ってもあらかじめの敗北は見えている。

 その二つの流れは時に前景と伏流を交代しつつ流れる。流れはしずくだったり、水たまりだったり、たっぷりとしてのったりしていたりする。だから厄介なのだ。「言葉なんざ、所詮道具だから」そう腹を括ると舞台という場所に立つ必要はなくなって、劇作家も戯曲を書く必要がなくなり、演出家は微笑んでいればいいだけになる。

 三年前、韓国の劇団が「F.+2」を上演したので見に行った。全編勿論ハングルで、わたしにあるのは、かつてわたしが書いたであろう言葉の断片だけであった。しかし、俳優と演出家の意図をみっちりと含んでいた劇場という空間はわたしを言葉の発生以前のわたしを想起させ、興奮させた。

 俳優が劇場にいて、演出家が空間と格闘する意味を改めて感じさせた。

 演劇は決して死なないのだと思った。

 稽古は人間が言葉に負ける準備作業で、本番はわたしたちは丸っぽ言葉で出来ていることの確認作業だ。

 今時流行らない「言葉」に接する時の覚悟を少しだけ書いた。

「昭和の詩」

スタジオメタ代表 北見敏之

22年前、青森の長谷川さんの御自宅に、二人芝居の書き下ろしを依頼する為

お伺いしました。二昼夜続いた酒宴の席で参考までにと渡されたのが「破片」です。行き場を失った二人の若者が己れの過剰なエネルギーに翻弄されて行く。その二人の言葉と感情のセッションは、ロックが、実は音楽の力をかりて爆音と共に遠い彼方に飛翔しようとする企みに似て、荒々しい祈りや詩といった芝居では済まない何かなのでした。帰郷する長距離バスの中で故山田辰夫さんと私は他愛なく興奮して長谷川さんのこと、作品のことを話し続けました。「これ演りたかったな」と私が言うと山田さんは独特な鼻に抜ける声で「まだできるんじゃない」とかんたんに言いました。私は43才でした。

それから10年経って「破片1.5」を演出しました。「破片」は弘前劇場の上演の度に長谷川さんの手により加筆されて「F.+2」とかたちを変えて来ています。だから「破片1.5」はその当初のわたしのオモイに沿っていいとこ取りした作品ということになります。

さて、それから12年経って再演です! 長谷川さんは10年前のチラシの中で、10年前に、10年前を思い出しながら書いた作品を観に行く「とまどい」について書いています。「こんな言い方が許されれば、20年前の私を連れて見に行こうと思っている。まだ、私はそんなに賢くはなっていないことを確認しに。」自分に引っ張って言えば、賢くなっていないことは確実です。それどころか、身に覚えのあるこの詩のように、若い季節に飛び散った己れの破片を私は丁寧に拾い集めてきたのですから。

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